全てを疑うことで、真実が見えてくるお話
今回は少しだけ哲学ちっくなお話をしようと思います。
自分がまだ高校生だった頃、化学を担当していた教師が最初の授業でこんなことを言いました。
(10年以上も昔の話なので正確には思い出せませんが、だいたいこのようなことです。)
「みなさん、教科書に書いてあることが本当だと思っていませんか?間違っていると考えたことはないですか?地球は、平らであり球体ではないというのが昔の常識でした。地球は止まっていて、太陽や星々が回っていると本当にみんな信じていました。今、この教科書に書いてあることは本当だと思いますか?全てを疑ってください。疑うことから科学というものが始まるのです。あと私が言っていることもちゃんと疑ってくださいね。」
高校生だった自分はまだ若く、学校で教えられることが正しいことで真実だと思っていたので、
「なんだこの先生は。教科書に書いてあることを疑うとか意味わからん。そもそも先生の言っていることも疑うなら『全てを疑え』も疑わなきゃいけないからもう何が何だかわけわかめ。」
とか思った。
今思い返してみると、『全てを疑え』というのは誠に真実だと心からそう思う。
論文に書いてあることは正しいのか
みなさんが何かわからないことがあった時に、まずどうやって調べますか?
自分は手っ取り早いのでとりあえずgoogle先生に教えを請います。
その次に、YOUTUBEを調べたりTwitterを調べたり。
それでも納得のいく回答が得られなかったら書籍を探します。
そして、最新の知見を得たくなったらpubmedなどを利用して論文を探します。
さて、これで本当に正しい答えにありつけるのでしょうか?
インターネットは匿名性が強く、誰ともわかない人たちが無責任に情報を発信しています。
名前や顔を公表している人のサイトはまだ信用がおけますが。
YOUTUBEやTwitterは顔出しが多いので信頼度が高いようにも思いますが、大体の人が自分の経験をもとに話しています。
書籍は誰が書いたか明確で、あまりに嘘が多ければそれは出版社が弾糾されたりするのでインターネットより信頼度があがります。
論文に書いてあることは、エビデンスに基づいたものが多く、上記のどれよりも信頼されます。
じゃぁ論文に書いてあることは全部正しいのか?
そんなことはありません。
論文というのは統計学に基づいて書かれているので、ある一定の確率で間違っているという前提のもとで書かれています。
メタアナリシスという論文をまとめたものが一番信用におけるとされていますが、それでも一定の確率で間違います。
インターネットにしろ書籍にしろ論文にしろすべて人が書いたものです。
そこにバイアスが絶対はいります。
バイアスが入り込まないように二重盲検という方法を使用した実験が一番信頼度がおけますが、やはり偶然の確率は排除できません。
ここまで書けば分かる通り、論文だって間違うことあります。
最近だってランセットという有名な雑誌がアクセプトした論文を人が死にまくったためその論文をなかったことにしました。
(たしかランセットだったはず・・・。自信なし。)
じゃぁ何を信じればいいの?正しいって何?と思う方はたくさんいると思います。
答えを言えば、正しいってのは自分の中にしかありません。
自分が正しいと思ったものが正しいのです。
医学のお話
ちなみに医者は、薬の処方をしたり手術方法を決めたりするのにわからない病気があったらどうすると思いますか?
ググると思いますか?
YOUTUBEみると思いますか?
Twitterでわかんないから教えてーと呟くと思いますか?
論文をひっぱりだして読み漁ると思いますか?
正解は。
ガイドラインというものをまず調べます。
大抵の病気にはガイドラインというものがあります。
たとえば消化器の癌だと「癌取扱規約」というものがあって、上は食道癌から下は直腸癌まで事細かに書かれています。
このガイドラインというものは、数ある論文からまさにみなが正しいと思ったことをベースに医者が書いているものです。
つまり、医療ではこの論文こそが全てで、経験的になんとなくいいからこうやって手術するとかは一応ないことになっています。一応。
しかし、論文だって間違っていることあります。
ガイドラインだって修正されることはあります。
つまり、何が本当に正しいのかはわからないけど、確率的に一番正しそうなことを医者は選んでやっているわけです。
なんとなく経験で薬を出したり、手術方法を決めたりしているわけではないのです。
ちなみに自分はわからない病気にであったときまずググります(爆)
誰の話を信じればいいのか
正しいことを知りたいときに、誰の話を信じればいいのでしょうか。
親でしょうか。
兄弟でしょうか。
友達でしょうか。
先生でしょうか。
監督でしょうか。
先輩でしょうか。
それとも偉大な人物や選手でしょうか
やっぱり、自分の経験が一番でしょうか。
どれも正解であり、やはりどれも疑うべきです。
なんども言いますが正しいことなんて誰もわかりません。
全てを疑って、自分が納得して、正しいと思ったことが正しいんです。
ただし、自分が正しいと思ったこともしっかり疑う必要があります。
人類の進歩
常識を疑うことで科学、そして人類は発展してきました。
ニュートンは月がなぜ地球に落ちてこないか疑問に思いました。
ガリレオは地球が止まっていることに疑問を抱きました。
アインシュタインは、光の速度が不変なのかということを疑いました。
他人からしてみたらとんちんかんなこと、常識はずれのことこそが世の中の真実だったりするものです。
他人の言っていることを否定しても何も生まれません。
否定するのではなく、まずは疑ってみるのです。
「あいつはあんなこと言ってるけど絶対間違ってる!!!」
ではなくて、
「あいつはあんなこと言ってるけど、もしかして自分が間違っているのか?」
と疑うべきなのです。
すべてを疑うには自分も含まれます。
他人も疑い、自分も疑い、インターネットもYOUTUBEも論文もすべて疑うのです。
疑った先に、自分の中での正しいことというのが見えてくるはずです。
疑う = 考える
疑うというのは、考えるということです。
何も考えず、人が言ってることを鵜呑みにしたら大抵失敗します。
仲のいい友達のフェイスブックだっていいところばかり切り取ったところが乗っています。
楽しそうだな、リア充だなと思ったってたった一部を切り取ったにすぎません。
盲目的にいろいろなことを信じたり、頭ごなしに否定したりしてはいいことは何もありません。
人は自分に都合のいいことしか信じようとしないものです。
たとえば、これを飲んだら痩せますよ!
とか、これをだけやれば筋肉つきますよ!
とかそういった商売ですね。
絶対嘘だと普通の人ならわかるのですが、極限状態の人たちは信じたいことなので信じてしまいます。
たまには信じたいことを疑って、否定したことも本当にだめなことなのかと疑ってみるのもいいかもしれません。
まとめ
twitterで有名なスポーツ選手が論文を信じるのか自分の経験を信じるのかという話をしていて、昔、高校教師が言っていた「全てを疑え」という言葉を思い出しました。
最後になりますが、一言だけ。
この記事もちゃんと疑ってください。
多分間違っていることがたくさん書かれていると思います(笑)
「全てを疑え!」
だけがこの世の真実です。
余談
そういえば、冒頭で教科書も疑えと先生が言ってましたが、鎌倉幕府の誕生も今は1185年なんですよね。
自分が習ったのは1192年だったので、本当に教科書も疑う必要ありますね。